頤和園(中国)

金といい、元といい、清といい、漢民族ではない王朝に愛された土地柄らしい。人工の昆明湖を中心に3000以上の建物があったというから、庭と言うよりは宮殿に近い。

巨額を投じて清王朝が傾いた

アヘン戦争で破壊された庭園を、西太后が軍事費を巨額流用して修復し「頤和園」と名づけた。軍事費が縮小されたため、清王朝滅亡の一因になったとさえ言われているそうだ。すべての建物が残っているわけではないが、主要なものは復元されている。
西太后の居室だった「楽寿堂」の前には銅製の鶴や鹿があり、記念撮影スポットになっていた。ここから昆明湖岸にでられる。

  1. この記事へのコメントはありません。