古都アユタヤ(タイ)


公園の入り口から入って一番右側の塔のテラスのようなところから下を見下ろす。レンガで造られた建物も残がいが広がる。これがかつての王宮跡だという。これもビルマ軍に破壊されたらしい。


どんなりっぱな街でも戦に負けると焼け野原。やっぱり昔から戦争の後はこうなってしまうのか、とぼんやり眺めていた。公園内では修復作業が行われていたので、20年たつとかなり進んでいるかもしれない。

山田長政が歩いた街

ワット・プラ・シー・サンペット寺院の横に現在の寺院があった。人がひっきりなしに入っている。ガイドが「お参りしますか」。ごった返す中で手を合わせた。
続いて「おみくじはどうですか」。買ってもらったが、タイ語で書かれていてさっぱりわからなかった。
古都らしく、そのほかにも見どころはたくさんある。ワット・プラ・シー・サンペットのすぐ近くに、アンコールワットの塔に似て丸みがあるクメール様式の「ワット・プラ・ラーム」があり、初代王の菩提寺だったという。
菩提樹の根に包まれた仏頭がある「ワット・マハタート」が有名だが「今回は見られません」とガイドが言っていたので、修復でもしていたのだろうか。少し郊外には30㍍近い涅槃仏が野ざらしになっているところもあるという。
忘れてはいけないのが、戦国時代から江戸時代に変わるころ、17世紀に山田長政ら渡ってきた日本人が日本町をつくっていた。詳細は他の譲るが、長政の死とともに日本人町も破壊されて何も残っていないそうだ。当時はアユタヤ王朝の信頼を受けて貿易を取り仕切っていたという。
現在もこの地に日本企業が進出しているという。何か因縁、地縁を感じる。

1991年登録

  1. この記事へのコメントはありません。