
昌徳宮(韓国)
ソウル~昌徳宮敦化門~後苑(秘苑)~昌徳宮宮殿内
ソウル市内に李氏朝鮮王朝時代の宮殿「古宮」が5つある。そのうちの1つで、韓国の時代劇の舞台になることが多く、古宮の中でも保存状態がよく、当時の姿を残しているのが「昌徳宮(チャンドックン)」。2015年、行ってみた。
韓国はインターネットの普及が進んでいるので、こうした宮殿もネット予約、日本語ガイドツアーの時間に合わせるのをお勧めする。特に庭園「後苑(秘苑=ピウォン)」は時間観覧制なので日本語ガイドツアーの時間を予約した。昌徳宮だけだと3000ウォンだが、秘苑とのセットは8000ウォンだった。
ネット予約で韓流ドラマの舞台へ
日本語ガイドブック(500ウォン)を手に「敦化門」という正門の前に立った。大きい。1412年に建てられた「楼閣型木造門」。1592年の壬辰倭乱(豊臣秀吉の朝鮮出兵)で焼失したが1609年に再建され、いまに残っている韓国最古の門だという。
門をくぐって右手、錦川橋を渡って宮殿の建物を横目にまっすぐ急ぎ足で進み、予約した秘苑に行った。後苑より秘苑の方が通りがいいのは、かつては一般人が入れない「禁苑」だったからだという。
まず「芙蓉池」。秘苑の中心的な場所。池のほとりに「芙蓉亭」「暎花堂」という東屋が立ち、池を挟んで向かい側の斜面に「魚水門」があり「宙合楼」が建っている。
「この池のほとりではチャングムというドラマのロケがありました。宙合楼はドラマになったイサン(第22代正祖)が建てました」とガイド。韓流ドラマを引き合いに出した方がが日本人にもわかりやすいということだろうか。

「天地宇宙に通じる家」という意味の宙合楼は王室の図書館だった。15世紀初めに第3代太宗が秘苑も含めて昌徳宮を創建し、壬辰倭乱で大半が焼失後、17世紀初めに第15代光海君が再建を開始した。
20世紀に入って日本統治時代に、伊藤博文が宙合楼を宴会場にするなど多くの建物が損傷を受けたり、用途を変えられたりしているという。

後苑宙合楼
芙蓉池を出て、王室の書斎だったという「倚斗閤」という建物を通り過ぎると、石門の「不老門」がある。王の長寿を願って建てられたといい、門をくぐると長生きするというので、一応くぐっておいた。

後苑不老門
「愛蓮池」という、芙蓉池よりは小ぶりの池がある。「トンイというドラマに出てくる第19代粛宗がつくりました。以前は島があったそうです」という。粛宗は蓮の花が好きだったので、池の名前になったという。小さな建物は「愛蓮亭」という。

後苑愛蓮亭
アップダウンの多い庭園
さらに進む。また池が見えてくる。「観覧池」を囲むようにして4つの東屋が建っている。最初に出合う「観覧亭」はよく見ると全体が扇形をしている。

次に見える「尊徳亭」は面白い建物だ。六角形の建物で屋根が二重になっている。「砭愚榭」「勝在亭」と、建築様式の違う建物で、気分や用途によって居場所を変えたのだろうか。

一番奥にあるのが「玉流川一帯」。この庭園全体は自然の地形を利用した上で池や建物を配しているので、けっこうアップダウンがあり体力も必要だ。
王様は輿にでも乗るのだろうが、せっかく少しずつ登ってきたのにかなり谷を下る。帰りが大変そうだ。玉流川一体には名前のとおり川が流され、滝もつくられている。
1636年に第16代仁祖が「逍遥巖」という地面に出ている岩盤を削って曲線の溝を造り、盃を浮かべて流しながら詩をつくる「曲水宴」を始めたという。
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