古都ホイアン(ベトナム)

フエ~ハイヴァン峠~ホイアン~ホイアン旧市街

ランタンで彩られた夜の街を見に行こう。コロナ禍が収まって海外旅行もできるようになってきた2023年、行ってみた。

古都フエからチャーター車で友人5人とホイアン(Hội An)に向かった。途中、高速道路ではなく、絶景で知られる「ハイヴァン(Hai Van)峠」を通った。ハイは海、ヴァンは雲の意味。峠の茶屋で一休みしてホイアンへ。着いたときはもう日が暮れていた。

とりあえず夕食を食べに、歩いて10分ほどの旧市街へ。道の右手を流れるトゥボン(Thu Bồn)川には名物ランタンを灯した遊覧観光用の小舟が出て、きれいだ。レストラン(というか食堂)を探して旧市街に入った。店の軒先や屋根にも火をともした色鮮やかなランタンがかけられ、川面に映って想像していた通りの幻想的な雰囲気になっていた。

 

日本人の足跡を残す街

翌日は朝から雨。雨季の12月だったので覚悟はしていたが、土砂降りともいえる降りだ。「建物を見るんだからいいか」と思って、傘とカッパで旧市街に向かった。

旧市街に点在する建築物などを見るには、事前にチケット売り場へいって観光チケットを購入する。旧市街の25の建築物の中から5カ所に入れる。120,000ドン(約720円)だった。日本語のパンフレットを手に歩く。

 

今回はホイアンの名所「来遠橋」、通称「日本橋」が解体修理中のため見られないのは行く前からわかっていたが「どんなもんか」とまず寄ってみた。解体中の橋の様子はフェンスの隙間から見られた。2024年7月に工事は終わったので、今は通れるようになっている。

ガイドブックなどによると、ホイアンは、16世紀に広南阮(グエン)氏の政権がフエにできた後にその外港として発展した。1601年に徳川家康に書簡を送り、江戸幕府との間に朱印船貿易が30年ほど行われた。しかし、江戸幕府の鎖国政策により、日本人の往来は途絶えた。

朱印船貿易が行われる以前から交易のため日本人がホイアンに住んでおり、日本人町もできていたという。その象徴が1593年に日本人によってかけられた来遠橋。鎖国によって日本人の多くは帰国し、地元の人たちが管理してきた。ベトナムの2万ドン札に絵柄にもなっているので、見られなかった橋はこんな感じだ。

観光チケットで巡る貿易で栄えた街

来遠橋の工事現場の横を抜け、橋のたもとにある「フーン・フンの家(馮興家、Nha Co Phung Hung)」に行った。ガイドブックによると、中国・福建省出身の絹商人が230年ほど前に建てた家で、中国、ベトナム、日本の建築様式が混じっているという。

土砂降りなので外の写真は撮らず、家の中だけなのだがわかるだろうか。中は全体的に暗い。扉の格子や欄間、階段の手すりなど、凝ったデザインになっている。今使っているのか、当時使っていたのかわからないが、家具も置いてある。

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