
フエの建造物群・下(ベトナム)
また、正室、側室が100人以上いたにもかかわらず、子供ができなかったため、3人の甥を養子としたが、死後の後継争い、権力争いで王朝衰退を招いた。
トゥドゥク帝廟は「謙陵」といい、離宮を兼ねていた。入ると目の前に「謙湖」という池が広がる。池のほとりに3つの建物が連続する「ズー・キエム・タ(愈謙榭)」と、湖に張り出した「スン・キエム・タ(冲謙榭)」という建物があり、釣りや船遊びなどができる感じで、のどかな雰囲気がある。
と冲謙榭.jpg?resize=650%2C488&ssl=1)
愈謙榭と冲謙榭
左手に池のほとりから立ち上がる斜面に沿って建物がある。目立つ門は「キエム・クン(謙宮)門」。建物名などほとんどに「謙(キエム)」の字が使われている。

門をくぐると、後ろには「ホア・キエム(和謙)殿」と呼ばれる寝殿がある。和謙殿の裏に行くと、中庭のようになっていて、似たような外観の建物が四方を囲んでいる。和謙殿から見て左に「オン・キエム(温謙)堂」、向かいに「ルオン・キエム(良謙)殿」、右に「ミン・キエム(鳴謙)堂」とある。礼拝のためのエリアだという。

トゥドゥク帝廟・和謙殿

良謙殿
かつては劇場だったという鳴謙堂に入った。椅子は玉座だろうか。天井には星座図が書かれていた。現在とは星の結び方が違うようだが、北斗七星とオリオン座と思える星座があった。昔から見つけやすい星座だったようだ。

鳴謙堂天井

鳴謙堂・玉座
この一角から出て、池のほとりの冲謙榭で一休みしてから、今度は陵墓のあるエリアに行ってみた。礼拝エリアと隣り合ってある。まず官僚や動物の像が立っている「拝庭(廷)」がある。

その先にトゥドゥク帝の「碑亭」。扉はなく、内部に大きな石碑が立っている。漢字5000字でびっしり刻まれている。普通は次の皇帝が功績などを書くのだが、トゥドゥク帝自らがフランスとの協定の経緯や子供ができなかったことなどが書いているという。

さらに奥に陵墓があるのだが、門があり、衝立があり、さらに小さな門があってその奥。簡素な石棺が置かれている。

グエン王朝の皇帝で陵墓と遺体のある場所が一致しているのはカイディン帝だけで、あとはどこに葬られたかはわかっていないそうだ。なので、ここも石棺だけだと思われる。
この記事へのコメントはありません。