
フエの建造物群・上(ベトナム)
ベトナム戦争時に王宮周辺は激戦地となり、爆撃などによって多くの建物が破壊された。特に王宮中央部の「紫禁城」と呼ばれた皇帝の政務・生活にかかわる建物はほとんどなくなって、周囲を囲んでいた回廊だけが残っている。ちなみに、グエン王朝の皇帝の名前や建物の名称などは、漢字に置き換えられる。

2つの戦争を経て生き残った建物を見て歩く
地図を頼りに、20ほど残っているという建物を太和殿からだいたい時計回りで見て回った。残っているという建物も、修復したか、修復中だった。
王宮は周囲2.5km(南北604m、東西620m)とほぼ正方形で城壁に囲まれている。真ん中、西側、東側の3つのエリアに、南北に建物群が並んでいるような感じになっている。

中央エリアの太和殿の裏には官僚の詰め所として武官の「タ・ヴ(左廡)」、文官の「フュ・ヴ(右廡)」という同じような外観の建物がある。左右対称に造られたようだ。

左廡
西側エリアに進んで「チュオン・ドック(彰徳)門」。王宮は装飾が素晴らしい門が多いのだが、その中でも2004年に修復を終えたこの彰徳門は別格。門の形がベトナム式なのだろうか。多くの彫刻と主に花のレリーフが門の壁面を覆っている。

その南側に初代ザーロン帝の父を祀る「フン(興)廟」、歴代皇帝の位牌を祀る「テー(世)廟」などがある。


北へ向かうと、皇太后の住居として使われていた「ジェン・トー(延寿)宮」。1932年に建てられた「ティン・ミン(静明)楼」はフランス・コロニアル(植民地)様式で、ベトナム式の建物とは違っていた。

延寿宮

静明楼
次に東に向かい、ほとんど建物がなくなっている中央エリア北側に修復中の大きな建物が姿を見せていた。「キエン・チューン(建中)楼」で、完成間近という感じだった。

再建中の建忠楼
そこから南下しつつ東側エリアに入る。こぶりだが、きれいな建物があった。「タイ・ビン(太平)楼」と壁に書いてあった。12代皇帝カイディン(啓定)帝が1921年に建てた書斎などに使った建物だが、破壊されて2015年に修復を終えたそうだ。

見学も終盤、「ズエット・ティ(閲是)堂」という2015年に修復された建物は、1826年に建てられたベトナム最古の劇場。1日2回、宮廷音楽ニーニャックの演奏などがあるそうだが、間に合わなかった。

「内務府」の近代的な建物などを見ながら、東側の門「ヒエン・ニョン(顕仁)門」から出た。この門がまた素晴らしい装飾で、様々な彩色、花や動物の彫刻に加え、陶器片を張り付けて模様を描いている。


ぶらぶらと歩いて4時間弱かかった。ちょうど夕方の帰宅ラッシュと重なってしまい、道路は主にバイクでいっぱいになってきていた。広い交差点を渡る必要があったのだが、横断歩道の歩行者信号が青で渡っても右折・左折のバイクは止まらずに結構なスピードで突っ込んできて、歩行者のすぐ前や後ろを通っていく。ぶつかりそうになるとしぶしぶブレーキをかける感じなので「轢かないだろう」とは思ってもけっこう怖い。バイクには歩行者も信号も関係ないようなので、ラッシュ時は注意が必要だ。
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