明治日本の産業革命遺産群(日本) 旧集成館ほか(鹿児島エリア)
機械工場は、さまざまな機械、機関の整備・補修するために造られた工場。大型蒸気機関を動力にしていたそうだ。巨大な歯車のようなフライホイールは、紡績工場で使われていたのが展示されている。
英国技師を招いて近代的な紡績工場を稼働
尚古集成館本館を出て海岸の方へ歩いていく。10分ほどで登録遺産「旧鹿児島紡績所技師館」、通称「異人館」に着く。見た目からして、いかにも外国人が住んでいたと見える洋館。正面入口は、真ん中の部分が塔のように張り出している。窓が大きい木造2階建てになっている。
ここに住んでいたのは、この地にあった鹿児島紡績所で技術指導に当たっていた英国人技師たちだった。薩摩藩では1865年に五代友厚ら視察団、留学生19人を英国に派遣。1866年、機械を買い付けた五代らが招いた英国の技師たちが来薩し、近代化された紡績工場の建設に着手。その際に、この技師館も1867年に建てられた。
入館料200円で中に入る。パネル説明などによると、紡績工場では主に蒸気機関を使用し、その動力で綿を梳く工程から綿打ち、撚糸(糸をつむぐ)、機織り(布を織る)の全工程を日本で初めて機械で行った。技師たちは3年間、その指導を行ったという。
内部は窓の多さもあって明るい。建物は張り出し部分を除くとほぼ立方体で、窓際に廊下がまっすぐに伸びている。張り出し部分はテラスになっている。
部屋もいくつか公開されており、かつての織機の復元したものや、技師たちが集ったであろうダイニングスペースなどが展示されている。
紡績工場は、日本近代化に貢献し、後に群馬県の富岡製糸場(世界遺産)も鹿児島紡績所の技術をルーツに持つという。
鹿児島には関連遺産としてほかに、集成館の工場群の動力の1つだった水車に水を送る「関吉の疎水溝」と、集成館で鉄やガラスを溶かす熱源に使われた大量の木炭を焼く「寺山炭窯跡」が登録されている。技師館にそのパネルが展示されていた。
(2015年登録)
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