故宮(中国)

北京空港~北京市内ホテル~故宮

 

航空会社のマイルがたまったので、どこかへ、と思って航空券の交換マイルを見たら、国内だけではなくて、近いアジアにも行けそうだ。北京に行こうと思い立って2002年、行ってみた。

2泊3日、といっても、1日目は午後早くに着き、3日目は午後早くに出国する。現地で動けるのは1日半といったところだったので、2日目の1日を使って万里の長城や頤和園などを巡るツアーを申し込んだ。

ということで1日目、午前便に乗って北京に着き、ホテルに荷物を置き、パスポート(必須)を持って、徒歩15分ほどの「天安門」に着いたのは、午後3時少し前。想定していたより1時間以上遅れ、午後5時に閉まるので「ざっと見て回るぐらいか」と思った。予備知識もあまりないのでパンフレットでもあるかと探したが、置いていなかった。取り急ぎ、売店に日本語のガイドブックがあったので買って入った。

 

天安門の前に広がる天安門広場は、よく中国のニュースに登場する。1989年に民主化を求めるデモ隊に軍が武力行使した「天安門事件」の舞台でもある。

(天安門広場)

天安門から天安門広場をみる。右に人民大会堂、左に博物館、広場のずっと先(南)に「前門(正陽門)」。ここからがかつての内城ということになる。

天安門から中に入り、「午門」から先が堀で囲まれた「紫禁城」と呼ばれる部分になる。今は「故宮博物院」という。

巨大、広大な紫禁城

入ってまず広さと大きさにびっくりした記憶がある。広場に堀が流れ、橋が5本かかっている。その先の「太和門」をくぐると「前三殿」と呼ばれる区域に。正面にドーンと建っているのが「太和殿」。最初から圧倒された。

太和殿は重要な式典などの際に、広場に文武百官が勢ぞろいしたところだという。基壇の上に立っており、階段の横には龍の彫刻がされている。中は金色の玉座を中心に、華美な装飾で飾られている。

端まで行こうと思って駆け足だったので、あまり写真は撮らずにひたすら見ては歩いた。当時のカメラでは、フラッシュなしの内部の撮影は難しかった。

行ったのは6月だったが、どんよりとしている。その後、北京のスモッグが問題になったが、このころ既に発生していた。

ガイドブックから拾ってみる。紫禁城は、明・清の時代に皇宮として使われた。1420年、明の第3代永楽帝が造営を始め、1420年にほぼ今の形に完成したという。翌年、都が南京から北京に移されて、清朝が終わる1912年まで皇宮だった。

「前三殿」は太和殿のほか、「中和殿」「保和殿」で構成されている。中和殿は皇帝の休憩場所、保和殿は儀式をおこなっていたそう。主に皇帝の仕事場で、三殿を含めてこの区域を「外朝」という。

紫禁城は1925年から「故宮博物院」と呼ばれ、当時の建物はじめ、装飾品はじめ宝物はそのまま置かれているそうで、全体が巨大な博物館になっている。

どこに何があるか分からない内廷

先を急ぐ。前三殿を過ぎて「乾清門」をくぐると「内廷」と呼ばれる、皇帝、皇后はじめ紫禁城に住まった人たちの生活空間になる。

また目の前にドーンとした建物。「乾清宮」という。皇帝の生活の場で寝所でもあった。これだけ大きいと、どこで皇帝が寝ているのかも、よく分からなかっただろう。

ここには「後三宮」がある。乾清宮の後ろにちょっと小さい「交泰殿」があり、その向こうに「坤寧宮」が、前三殿に続いて南北一直線に並んでいる。

交泰殿は明代では皇后の誕生祝いの場だったが、清代には玉璽などの貴重品の保管場所になっていたという。坤寧宮は皇后の生活の場だが、のちに神を祀る場所になっていたそうだ。

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