ルアンパバーンの街・上(ラオス)

ナムカン川(右)とメコン川(奥)

伝統建築とコロニアル建築が融合した街

ラオスとルアンパバーンについてガイドブックやネット情報などから簡単に。ラオスはインドシナ半島の内陸部に位置し、中国、ベトナム、カンボジア、タイ、ミャンマーの5カ国と国境を接している社会主義国家。海に面していないが、大河メコン川が流れている。水産物はいろいろあった。

ルアンパバーンは14世紀半ばに現在のラオスの領土の基になったラーンサーン王国の首都となったが、1479年にベトナムの侵入で破壊された。その後も隣国のタイやミャンマーの旧王朝の支配などを経て、18世紀から20世紀までルアンパバーン王国というラオ族の王朝があった。

20世紀初頭にフランスの植民地となり、第2次世界大戦、インドシナ戦争を経て1949年にラオス王国として独立、1975年に王政が廃止されて社会主義国家となり、ヴィエンチャンを首都として今に至っている。インドシナ半島の真ん中にあるため、隣国の干渉を受けてきた歴史がある。

街全体が世界遺産に登録されたのは、ラオスの伝統的な建築様式とフランス植民地時代の建築様式が融合して独特の街並みをつくっている「文化の融合」が評価された。世界遺産の街中には伝統建築の寺院が数多く点在し、植民地時代のコロニアル建築の家屋が今も住居やホテル、商業施設などに使われている。街を歩けばどこも世界遺産ということになる。

お札に描かれたラオスを代表する寺院

代表的な寺院建築がワット・シェントーン。ラオスの2,000キープ札にも描かれている。ガイドブックなどによると、街にある仏教寺院は「ルアンパバーン様式」という、細長い建物に屋根が蛇腹のように横に連なっている形をしている。30,000キープ(約210円)で入った。

入ってすぐ右手に「霊柩車庫」。1960年にシーサワンウォン王の葬儀で使用された霊柩車が納められている。黄金の龍をかたどっているというが、ナーガが金色に塗られているという感じだ。

寺院は1560年にラーンサーン王朝のセーターティラート王によって建立された。中国南部の武装組織黒旗軍の侵入で1887年に略奪などの被害を受けたが、修復された。本堂はラオスで最も美しい建物と言われる通り、開いた本を伏せたような屋根が連なる姿が優美だ。壁には赤地、黒地に金の絵がびっしりと描かれている。

中に入っても、壁面は絵画でびっしり。仏教画や龍などの動物(?)、王室行事のようなものなど様々なモチーフが描かれている。

 

奥の祭壇には黄金の仏像が安置されている。古さはわからなかったが、日本の仏像と表情は違う。タイなどと同じ感じだ。

本堂を出て裏手に回る。横から見る本堂の方が、ルアンパバーンの寺院という感じがする。屋根の上には17本の尖塔や、たぶんナーガの彫刻が置かれている。

本堂の裏の壁面には「マイトーン(黄金の木)」と呼ばれる大きな木のモザイク画が描かれている。かつてここに大木が立っていたそうだ。世界の神話や旧約聖書にある生命の木(樹)をイメージさせる。同じ発想なのだろう。

本堂の周りにはいくつかのお堂もあり「赤堂」には涅槃仏がある。壁面に人々の暮らしなどをモザイクで描いた建物も印象的だった。

1995年登録

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