
デリーのラール・キラー(インド)
デリー市街~コンノート・プレイス~ラール・キラー
今も現役で軍が使用している約400年前の城が、デリーにある。2016年、行ってみた。
夜デリーに着いて翌早朝、デリー市街から車で向かった。白い瀟洒な建物が並んでいる場所を通った。「コンノート・プレイス」の一角だという。ニューデリーの中心、英国の植民地時代に造られたそうで、広場を中心に英国によくあるロータリーのような造りになっている。

ここを通ってオールドデリーに入り、20分ほどで朝日を背後から受けた逆光の中に、大きな建物が見えてくる。「ラール・キラー(Lal Qila)」と呼ばれる城だった。
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赤砂岩主体に造られた別名赤い砦
城の前は大きな広場になっている。「このあたりには日曜日に市場になります」という。

「ラホール門(Lahore Gate)」から入る。門への入口はさほど広くないのは、防御のためなのだろう。門自体は大きく立派なもので、門の前のスペースが広くないため、カメラに収まり切れない。

「この門は、パキスタンにある巡礼の街ラホールの方角を向いて造られてます」とガイド。1655年に完成した。
城全体が赤砂岩を主体に造られており、赤い城で「レッド・フォート(Red Fort、赤い砦)」とも呼ばれる。アーグラー(アグラ)にあるアーグラー城も同様にレッド・フォートと呼ばれているが、こちらがデリーのレッド・フォートという。重要な場所にいくつかあったようだ。

この門、入ってからが長い。門というよりは、通路がついた建物の感じ。入ると、朝早かったのでシャッターは下りていたが、商店街になっている。「チャッタ・チョーク商店街」という市場で、いまは観光客相手の土産物店が多いという。

チャッタ・チャウチ商店街
抜けると、もう1つ、大きな門のような、白壁の建物がある。「ナッカール・カーナ (Naqqar Khana)」という中門。時刻や王族の帰還を知らせる音楽が演奏されていた。「旧正門です。この城を造ったシャー・ジャハーンは大理石が大好きだった」(ガイド)と、これは白い大理石でできている。

ただ、通り抜けたら、反対側の壁面は赤砂岩でできていた。凝った造りだが、理由は分からなかった。

宝石に飾れられた玉座で一般人と謁見
ラール・キラーは、16世紀初頭から19世紀後半までインドを支配したイスラム国家ムガール帝国の第5代皇帝シャー・ジャハーンが当時の都アーグラーから遷都して1648年に完成した。シャー・ジャハーンと言えば、先に紹介したタージ・マハル、アーグラー城を造った皇帝だ。
朝もやがかかっている。この時期、デリーはよく霧になるという。中門を抜けると前に細長い大きな建物が見えてくる。「デュワニ・アーム(Diwan-i-Aam)」という。

皇帝が市民と謁見する場所であるとともに、閣議など政治の場でもあった城の中では最重要の建物になる。9つのアーチが並び、確かに重厚な造りだ。

中央には、皇帝の玉座がある。今は、ガラスで囲われていた。玉座は宝石などで飾られているという。「ここでは一般の人を前に裁判なども行われていました」という。

デュワニ・アームから左に進む。白い建物は「モティ・マスジド(Moti Masjid)。マスジドはモスクのこと。「真珠のモスク」と呼ばれる白い大理石でできている。

息子の第6代皇帝アウラングゼーブが建てたもので、皇帝一家専用だった。「女性は家から出られなかったので、ここは皇帝の奥さんたちが祈ったところでもあります」という。
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