コルドバ歴史地区(スペイン)

メスキータ内のオレンジの中庭

イスラム建築の傑作の中へ

振り返ると、免罪の門の隣に塔が立っている。これはモスクの時代にはミナレットだったものだ。

メスキータはスペイン語で「モスク」の意味。名前はそのまま残ったが、モスクだったこともあって、イスラム建築の中でも傑作と言われるこの建物に対して、キリスト教徒はアルハンブラ宮殿のように最小限の改修にとどめることはしなかった。
メスキータの外壁にはたくさんの扉があったと思われる枠が残っているが、そのほとんどは塗りつぶされている。「モスクは扉を開けて中を明るくしていますが、キリスト教の礼拝堂は扉を閉じて中を暗くしないといけないので、扉をふさいでしまった」とガイド。

塞がれた扉が並ぶメスキータの壁

1つ残っている「栄光の門」から中に入った。すでに、メスキータの特徴である白と赤のアーチが、門を支えている。

確かに暗い。入ってすぐに、堂内に林立する柱が目に飛び込む。柱の上部は、赤と白のストライプが入ったアーチになっている。これが、イスラム建築の傑作の1つ、メスキータの円柱だ。

メスキータは最初につくられた後、3度増築されている。入ってすぐの所は一番最初、アブデラマン1世が758年に建設した部分(黄色=下図参照)。床下には、この場所に立っていたキリスト教のサン・セバスチャン教会の床が保存されている。

林立する赤と白のストライプの柱

「711年にコルドバに入って以降、しばらくイスラム教徒は教会の一部を借りて礼拝に使っていました。人口の増加などもあってモスクとして手狭になり、キリスト教徒に頼んでこの土地を買い取り、メスキータを建てました。奪い取ったものではないところが重要です」とガイド。床にガラスがはめ込まれた一角から、元の教会の床にあったモザイクを見られる。

床下にある教会の跡

その後、アブデラマン2世が848年に増築(オレンジ色)。現在の中央部分になっている。961年にはアルハケム2世がさらに奥へと拡張した(濃オレンジ色)。


987年にはアルマンゾールによってそれまでのメスキータの東側全部に新たに増築を行い(赤色)、今のような正方形に近い形になっている。


天井を支えるために、柱のアーチは赤いレンガと白い石灰岩をくさび状にして交互に合わせて作られていた。しかし、最後の増築の際には「材料は白い石灰岩だけで、赤いストライプは色を塗ってコストを下げたようです」とガイドのいうように、造作が少し雑になって、アーチの赤色がはげてきている部分もある。

一番奥、南東側の壁面にはメッカの方角を示すミヒラーブがつくられている。壁にくぼみを作っているのだが、その周りの装飾は金色や青色を使った精緻な模様が描かれている。
「砂漠の民だったので水の青や木の緑はあこがれの色だったと言われています」(ガイド)と、とっておきの装飾にした。最終的には2万5000人収容の大モスクになった。

モスクだったことがわかるミヒラーブ

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