ミーソン聖域(ベトナム)

BCDグループの横の道を通り、小さな川を渡ると「Gグループ」があり、右に「Aグループ」、左に「Eグループ」「Fグループ」がある。先にAグループを見に行った。

パルマンティエによって最初に発見された遺跡という。中央にある崩れた寺院は10世紀に建てられたもので、発見された当時は高さ28mの大きな建物が残っていたそうだ。

しかし、ベトナム戦争時の1969年に米軍の爆撃で破壊された。残っている入口の大きさからもかなり大きな建物だったのだろう。壊れて散乱していたはずのレンガは片づけられ、新しいレンガも積まれており、少し修復されているようだ。

ちなみにグループのアルファベットは発見された順にAからつけられている。Aグループは早くに発見されたので修復も早かったのかもしれないが、建物にしろ、レリーフにしろ、古いものと新しいものの見た目の差が結構ある。地面に大きな穴が所々にあるが、米軍の爆撃の跡だという。

少し戻って「Gグループ」。小高い丘の上にあり、こじんまりしている。

説明板によると、寺院と山のコンセプトで、ミーソンとカンボジアの建築様式を反映させているという。建物が残っていないので見た目には分からなかったが、確かヒンドゥー寺院だったアンコールワットは「山」をイメージしていたと記憶している。

ここは12~13世紀ごろに建てられたものだという。残っている建物の基壇の壁面に顔のレリーフがたくさんあるが、これはシヴァ神の別名でもあり、時間の神「カーラ(kala、マハーカーラ)」といい、Gグループの建物の壁にカーラの顔のレリーフが52もはめ込まれている。

既に紹介したネパールのカトマンドゥのダルバール広場にあったシヴァの破壊神としての姿「カーラ・バイラヴ」と同一神らしい。

隣接している「Eグループ」と「Fグループ」。聖域でも古い8世紀ぐらいの建物が残っていたそうだが、このあたりもベトナム戦争での爆撃でほとんどが破壊されている。

Eグループには、その爆撃を免れたのか、損傷が少なくて修復できたのか、大きな建物が残っている。まだ解読されていないチャンパ文字を刻んだ石碑も聖域内で多数出土しており、ここにも1つ立っている。

聖牛ナンディ像

Fグループは、これも8世紀ごろの寺院が残っていたが、爆撃でほぼ崩れたままだったのだろうか。屋根をかけているので、修復作業に入っているらしい。

乗降場に向けて再び歩き出す。パンフレットによると左手に「Nグループ」がでてくるのだが、よくわからなかったので先に進んだ。右手に「Kグループ」。長方形に囲われた基壇の向こうに建物があるが、どこが正面かわからなかった。

「Kタワー」と呼ばれる建物は2つの塔? の間が空いていて、塔にはそれぞれ出入口があるという不思議なつくりになっていた。かなり破壊されているようで元の姿が想像できないが、タワーというぐらいなので高かったのだろう。

  1. この記事へのコメントはありません。