カサーレの別荘(イタリア)
軍人が駐留した街
この別荘は4世紀初めに建てられたもので、ローマ帝国の西の皇帝マクシミアヌスの時代だったという。ピアッツァ・アルメリーナは「練兵場」を意味しているそうで、当時このあたりは軍人の街だったとされる。
一時、異民族(バンダル族)に破壊され、軍人らがいなくなったところで一般の人たちが住み始めた。山崩れでこの別荘が埋まってしまい、屋根などが破壊された。
そのまま忘れられていたが、埋まっていたことで20世紀初めの発掘でモザイクがきれいに見つかった。1950年ごろに今ある別荘全体が掘り出されて、修復が行われたという。
「別荘の敷地は3500平方㍍あったといわれています。まだほとんどが未発見です」というから、別荘と言ってもスケールは大きい。相当な身分の人の別荘だったのだろう。部屋、廊下はたぶん高価だったと思われるモザイクをふんだんに使っている。
10人のビキニ美女もいる
「ローマが世界の中心だったというモザイクです」というのは、さまざまな動物を船に積み込んでいるモザイク。「グレートハンティングの廊下」と呼ばれている。象やライオンなど、アフリカから動物を連れて行く光景を描いている。
アフリカで捕獲した動物をローマにもっていく。ローマのコロッセオでの「ショー」に使われたのだろうか。
「たぶんみなさんはこれを見たかったでしょう」というのが10人の女性のモザイク。ビキニのような服をきて何か運動のようなことをしている。
ダンベルを持っていたり、ボールのようなものを投げ合っている。ローマ帝国時代でもそうした運動が行われていたようだが、女性もやっていたということなのだろうか。
子供を題材にしたモザイクも増えてくる。女の子の部屋と思われる床には、香水にするバラを摘んでいる様子が描かれているという。
男の子の部屋と思われるところには、競技場で鳥に引かせる車で競い合う様子が描かれている。
1700年前の生活ぶりなどがモザイクを見ることで何となく想像がついてくる。そういう意味でも貴重な資料なのだろう。
寝室に描かれたモザイクは?
モザイクを使って勉強もしていたらしい。「ここは息子に様々なことを教えるためのモザイクになっています。勉強部屋だったのでしょう」という。作物を育てたり、動物を捕まえたりというモザイクが描いてある。
「イルカに乗った少年が真ん中にいる部屋は読書部屋だったとされています」という。イルカに乗っているのは少年には見えなかったが…。周りにいるのはたぶん神々だろうと思われる。
果物がたくさん描かれている部屋は「朝食に使われたのでは」。イチジクやプラム、リンゴやナシなど、当時の人たちの食卓にものったのだろう。
そろそろ別荘の一番奥の方に来た。といえば、主寝室になる。「寝室なので、そのようなモザイクになっています」とガイドもニヤリとした。
中央に、それらしい、ちょっとエロチックなモザイクが描かれている。
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