ナポリ歴史地区(イタリア)

ローマ~ナポリ、シチリア島メッシーナ~ナポリ

 

「ナポリを見てから死ね(vedi Napoli e poi muori)」ということわざがあるように、文豪ゲーテも「イタリア紀」の中で絶賛している港町。ナポリの風景を見ておかなければ死んでも死に切れないという意味だろうか。

世界遺産登録前の1991年にローマからポンペイへのバスツアーの途中で1度立ち寄ったが、現地の治安が悪かったこともあってバスから下ろしてもらえず、車窓から眺めただけ。まだ死ねない。

あらためて2016年、行ってみた。

さまざまな支配者の下で暮らしてきた

 

ローマから着いた時は雨だった。まだ日没まで時間はあったが、薄暗い。「ヌオーヴォ城(Castel Nuovo)」近くの駐車場から旧市街の方へ向かう。

道の先に、イタリア3大劇場(ローマ・オペラ座、ミラノ・スカラ座)の1つ、「サン・カルロ劇場(Teatro di San Carlo)」が見える。その下を通って、市街地に入った。

「プレビシート広場(Piazza del Plebiscito)」という、半円形状の広場がある。市民の憩いの場なのだが、雨なので閑散としていた。

この広場に面して「王宮(Palazzo Reale di Napoli)」が建っている。

ナポリはイタリア第3の都市。歴史は古く、ギリシャ時代にネア・ポリス(新しい都市国家)として街ができ、紀元前4世紀に古代ローマ帝国の占領下に入った。

8世紀はナポリ公国が誕生し、12世紀まで栄えたが、その後は7つの様々な王朝が支配してきた。このため、13世紀から19世紀にかけて、さまざまな文化が入り、建築などが生まれたという。

「エンターティナー」とイタリア国内でも称される、いわゆる「ナポリっ子気質」は、さまざまな為政者と折り合いをつけてきた歴史の中で出来上がってきたものだという。

この王宮は、スペインが支配していた17世紀にドメニコ・フォンターナ設計で建てられた。広場に面した正面はほぼ当時のまま残されているそうだが、欧州各地にある王宮に比べて簡素というか、華美な装飾などがない。修復中なのか、外側には足場が組まれていた。中を見られなかったのが残念。豪華な内装なのだという。

広場を挟んで反対側には「サン・フランチェスコ・ディ・パオラ教会(S.Francesco di Paola)」が向き合って建っている。左右の回廊は、ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂に似ている。中央の列柱はローマのパンテオンがモデルだという。

カステル・ヌオーヴォに戻る途中、サン・カルロ劇場の前にある「ウンベルト1世のガレリア」に入った。きれいな天井があるアーケードの商店街。雨は上がり気味だったが、ここだと濡れなくていい。

19世紀終盤、世界中で流行したコレラの流行が収まった1890年に造られたという。アーケードは十字に交差しており、交差点の天井は高さ58㍍のドームになっていて、教会のクーポラのようだ。

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